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深山(しんざん)は、日本海軍の陸上攻撃機である。設計、製造は中島飛行機。日本海軍初の4発陸上機で海軍機中最大の機体(全長・全幅はB-29にほぼ匹敵)を誇ったが、機体各部にトラブルが頻発したため6機の試作だけで不採用となった。記号はG5N。アメリカ軍によるコードネームは「Liz」〔本機のコードネームについては“Litz”としている資料が多いが、『Japanese Aircraft Code Name & Designations』(Robert C. Mikesh)によれば日本機のコードネームの責任者であるW.M.バージェス大佐が生まれたばかりの自分の娘エリザベスにちなんでLizと命名した、とある。〕。 == 開発 == 帝国海軍は航続距離の格段に大きい大型陸上攻撃機の開発を企図し、パナイ号事件などで日米間の緊張が高まる中、1937年(昭和12年)に民間の大日本航空名義で4発のダグラスDC-4Eを輸入、これを参考にした試作「十三試大型陸上攻撃機」を中島飛行機に命じた。 ところがこのDC-4Eは後の傑作輸送機のDC-4(C-54)とは全く別の、試作機のみで終わった失敗作であり、重量がかさんだにもかかわらずエンジンの性能が追い付かず、しかも複雑な機構から装備性にも劣るものであった。アメリカは民間輸入という日本海軍の偽装を見抜いた上で価値の無いものを売りつけたものであるとされる。 1941年(昭和16年)2月に試作第1号機が完成し、4月に初飛行した。主翼、降着装置、油圧・電気系統等はDC-4Eと同一か参考にしたものだったが、胴体は新規に設計されたもので垂直尾翼が3枚から2枚に改められていた。また、主翼の配置も低翼式から中翼式になり、翼内の燃料タンクが大型化されていた。これらの改設計は、胴体内に爆弾倉、胴体下面に爆弾倉扉、尾部に銃座を設ける必要からであった。エンジンは、当初予定していた中島製の新型高馬力エンジン護の実用化が間に合わず、やや出力が少ない三菱重工業製の火星を搭載していた。試作2号機までは火星を搭載し、その後製造された増加試作機4機には当初の予定どおり護11型を搭載しテストが行われた。なお、増加試作機は深山改と呼ばれた。 しかし、護は所定の出力が出なかった上、振動が大きく信頼性に欠けていた。また、機体も元となったDC-4Eが失敗作である上に、前例のない大型機の開発に技術が追いつかず電気系統を始めとする機体各部にトラブルが頻発した。機体重量も当初の予定を2割以上超過しており、運動性も劣悪で陸攻でありながら敵艦に超低空から肉薄雷撃できない、這いよれない機体であったため、「バカ烏」という不名誉な渾名が付けられた〔安藤亜音人『帝国陸海軍軍用機ガイド 1910-1945』(新紀元社、1994年) ISBN 4883172457 p248〕(そもそも、運動性が低い大型四発機をこの種の任務に当てること自体が間違っていた)。このため長期間改修を続けながらテストされ1943年(昭和18年)には試製「深山」と正式に改称されたものの、結局6機の試作だけで不採用となった。ただし、本機の試作によって得た経験は後継の連山の設計に生かされることとなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「深山 (航空機)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Nakajima G5N 」があります。 スポンサード リンク
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